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「コスモノート」

絵・ギター:小夜セレネ

物語歌枠『コスモノート』

この子はエコー。
エコーは過剰な共感覚を持っていた。
共感覚というのは、例えば文字に色がついているように感じる等、受け取った情報に対して別の感覚を得ることだ。
エコーには生まれつき、全ての五感に強烈な共感覚が宿っていた。

光に音を味わい、音に景色を嗅ぎ、匂いに色を聴き、味に音楽の手触りを感じ、皮膚に香りを見る……
全ての感覚が、何倍もの情報量になって、反響してくる。
そのどれもが眩しく、うるさく、痛い。
一つ一つなら美しく心地よい色なのかもしれないが、それらはキャンパスの上でぐちゃぐちゃに混ぜられていた。
エコーが見る世界は、傍から見たら芸術的かもしれないが、本人からすると混沌そのものだった。
エコーの頭と心は、その大量の刺激を整理するだけの”スペース”を持ち合わせていなかった。
だから、世界からの”反響音”が嫌いだった。
外の刺激から逃げるように、自分を守るように、内側に内側にこもるように生きてきた。

 

いつからかエコーは、全ての刺激を拒否して、暗く狭い部屋に閉じこもるようになった。
部屋の隅に座り込んで、耳をふさいで、目を閉じてじっとする。
こうすることで、エコーは自分の世界が少しだけ澄んだように感じるのだった。
前衛芸術のような混沌の色だらけの世界より、真っ暗な世界の方が、居心地がよかった。
一人でいい。独りでいい。
エコーは自分に言い聞かせるように、そう呟き続けた。

ある日、エコーの暗闇の世界に「歌」が流れてきた。
耳を塞いでいてもかすかに、どこからともなく聴こえて来る歌。
エコーにとって歌は音であると同時に、光であり、匂いであり、味であり、肌ざわりでもある。
普段ならその情報も耳障りだとシャットアウトする所だったが、この時は違った。
不思議とその歌からは、不快な刺激を感じないのだ。
エコーは音色を注視してみた。
どうもその歌は、普通の人間が歌う歌とは違うようだった。

 

それは白紙に絵具を撒き散らしたような大量の情報の塊ではなく、まるで闇に浮かぶ極小の光のような、かすかな点に”見えた”。
だがそれでいて、その光の中には、無限の情報量が含まれているような気もした。

この「歌」はなんだろう。
どこから聞こえてきているのだろう。
誰が歌っているのだろう。

聞いているうちに、エコーはなぜだか、その歌が自分のことを呼んでいる呼び声のように感じてきた。
興味は膨らんでいく。
この歌の元を辿りたい。この歌声の持ち主に会いたい。
会えば、何か変わる気がする。

エコーはゆっくりと立ち上がった。
真っ暗な部屋。
だがあらゆる感覚が共鳴し合って増幅しているエコーには、辺りの様子は手に取るように分かる。
扉の場所まで歩き、取っ手に手をかける。
一度、ためらった。
またあの情報の嵐の中に飛び込むことを想像すると、足がすくむ。
外で受ける刺激そのものも辛かったが、それ以上に、長く遠ざけてきたものに自分から飛び込むという状況が、エコーの心に重くのしかかった。

それでもゆっくりと手に力を込める。
変化の無い”生”は安心をもたらしてくれるが、流れない水は腐ってゆく。
エコー自身、自分の心が安定に蝕まれていくことをどこか恐れていた。
そのある種の焦燥感と、歌声に抱いたかすかな希望が噛み合い、エコーはついに扉を開け、外の混沌の世界に踏み出した。
まるで、“光”に寄せられる羽虫のように……

外に出た瞬間、エコーは思わず顔をしかめた。
光、音、温度、匂い……それらの感覚が、また別の感覚をも引き連れてきて、何倍にも膨れ上がった情報が襲ってくる。
蠢く絵画の中に入ったような、光の波に飲み込まれるような感覚。
そんな中、小さな”光”を頼りにふらふらと歩き、歌声の主を探す。

森の中、一枚の木の葉の行方を追うような。
無数の星空の中に一つの星座を見つけるような。
頼りなく、か細い感覚を辿り、エコーは歩みを進めた。

歌は少しずつはっきり聞こえるようになり、その音の中に見える景色も輪郭を帯びてくる。

どれくらい歩いただろう。
いや、エコーがそう感じただけで、実際は大した時間でも距離でもないかもしれない。

やっとの思いで辿り着いたのは、小高い丘だった。
そしてそこには……

 

一輪の、花が咲いていた。

近づいて見てみると、それはコスモスだった。
美しく、派手でありつつも調和の取れた花弁の並び。
エコーの目に移る感覚の嵐の中でも、確かな存在を保っている。
花の中心部分に耳を近づけると、これまでで一番はっきりとした「歌声」が聞こえてきた。

たしかに、その歌はコスモスから流れていた。
こうしてエコーは、「歌うコスモス」と出会ったのだった。

 

それから毎日、エコーはコスモスの傍に座って歌を観察した。
不思議と歌に集中すると、周りの刺激が気にならないのだ。
頭の中が広がったような感覚。
これまで足りなかった”スペース”が広がって、余裕ができた感覚。

コスモスの場所に来るまでの道は、相変わらず刺激だらけで、やはり苦痛ではあった。
だがそれよりも、この歌への興味の方が勝っていた。
それに、頭の”スペース”が広がったおかげで、以前ほどの辛さは感じなくなっていた。

なぜこんなにも、この歌声は自分を和らげてくれるのだろう。
人間が歌う「癒しの歌」は、エコーにとってはかえってノイズだった。
なのに、なぜ?
コスモスの歌に対するエコーの興味は尽きなかった。
だから来る日も来る日も、歌に耳を傾けた。

コスモスの歌声をよく聴いているうちに、エコーの頭にひとつの予感が過ぎった。
このコスモスは……多分、何かを伝えようとしている。
それはエコーの人並外れた共感覚により生まれた予感だった。
この歌には、景色が、言葉が、感情が含まれている気がする。
それらが複雑に、糸のように絡み合って、ぐちゃぐちゃの塊としてエコーの感覚に伝わってきていた。

「この糸を解きほぐして、コスモスのメッセージを読み解きたい。」
エコーはそう思った。

先刻よりも集中して耳を研ぎ澄ませる。
音の中に含まれるあらゆる感覚を探った。
そうしているうちに、エコーが最初に歌から読み取れたものは…”景色”だった。

 

その歌の中に広がっていた景色は「宇宙」だった。
どうやら、コスモスの中にはもう一つの宇宙があるらしい。
その宇宙は、エコーが住む宇宙と同じくらいに広大で、歌は宇宙から聞こえてきていた。
いや、「宇宙自体が歌っている」という感覚の方が近いだろう。
エコーはこのコスモスの中の宇宙を、「コスモ」と呼ぶことにした。

 

エコーはそれから熱心に歌の”解読”をした。
自分の共感覚に初めて感謝した。
この”解読”は自分にしかできない事だ。

これまでは世界から一人だけが呪われていたように思えていたが、今この瞬間だけは、自分は世界から特別な祝福を受けていると思えた。

エコーが次に読み取ったものは”言葉”だった。
歌に含まれる音の中に、規則的な音色があったのだ。
その音色をメモし、音から伝わってくる感情や景色と照らし合わせて、法則を見つけ出していく。
次第に、この音色はコスモが扱う”言語”であることがわかった。
コスモはこの言語を使って、文章も伝えようとしていたのだ。

エコーの世界の言葉に訳すなら、文章の始まりはこうだった。

「ハロー ワタシハ ウチュウ」

それからもエコーの解読は続いた。
歌から読み解くべき情報量は果てしなかった。
続ければ続けるほど、旋律から、音色から、律動から、その宇宙の風景や、歴史までもを紐解くことができた。
コスモはそれだけの情報を、この歌に込めて、ずっと歌っていたのだ。
風に揺られて、雨の日も、晴れの日も、ずっと、ずっと……

 

コスモの中には色とりどりの世界が広がっていた。

例えば、優しい青色の水の惑星。
例えば、花畑のごとき無数の恒星の瞬き。
例えば、人類が歌を歌い継ぐ祭典……

そう、「人類」。

どうやら、コスモの中にも、エコー達とは別の「人類」がいたようだ。
ある一つの星に生まれた生命が、進化し、文明を組み上げ、文化を積み上げてきた。
彼らは歴史の中で、「歌」を愛し、重んじた。
そして、人智を超えた存在である「神」を深く信仰し、これもまた愛していた。

はたして、人類の歴史においては、「神の歌」を聴くことができる、巫女のような者が常に王位に就いた。
彼らは「神の歌」を信じ、迷った時には道を示してもらい、時にはそれに頼り切りにならないよう自らの意志で未来を切り開いて、力強く生きていった。

だがそれも永遠ではなかった。
いくら長い人類の歴史も、コスモ……つまり宇宙から見れば大した時間ではなかった。

コスモはこのような文章を歌に含ませていた。
「ココニハ ヒトハ モウイナイ」

 

……コスモによると、コスモは宇宙であるが、同時に一つの生命体でもあった。
それは、コスモ内の世界と、エコー達の世界の、ちょうど間を満たすような生命体。
生物の細胞の周りを満たす組織液のような、”内”と”外”の媒(なかだち)をする存在。
独立した意識を持った宇宙。
それがコスモだった。

コスモは人類が紡ぐ「歌」が好きだった。
聴くのも好きだったし、歌うのも。
人類は「神」として、間接的にコスモを愛していたし、コスモも人類を愛していた。
コスモが歌った歌を、人類は「神の歌」として、大切に受け取ってきた。
だがもう歌を紡ぐ者も、自らの歌を聴いてくれる者もいなくなってしまった。

だから、今度は”外”に向けて歌うことにした。
たった一人でも、”外”に聴き手がいれば、歌はその者の記憶の中で生き続けるのだから。

「ワタシハ、オボエテル。」
「ワタシハ、ウタヲウタウ。」
「ワタシハ、トドケタイ。」
「ワタシハ、ココニアル。」
「アナタハ、ドコニアル?」

……これが、コスモの歌の全容だった
”解読”が完了した。
エコーが聴いてきたこの歌は、誰に向けたものでもない。
でも「誰か」に向けたものだったのだ。

ここまでを理解した時、エコーは自然と歌を歌っていた。
コスモの歌声を、音色を、言語を、出来るだけ真似て、返すように。

 

「私も、覚えてる。」
「私も、歌を歌う。」
「私も、届けるよ。」
「私は、ここにいる。」
「あなたの、そばにいる。」

それは反響だった。それはエコーだった。

寄せては返す波のように。
互いに繰り返す希望と絶望のように。
入れ違いで空に昇る満月と太陽のように。
人と人の会話のように。

あれだけ嫌っていた”反響音”を、エコーは今、自らの意志で歌っていた。

違う世界の”2人”の歌は、互いに響き合い始めた。
エコーが歌えば、コスモが返す。
コスモが歌えば、エコーが返す。
そうやっているうちに、コスモから届く歌の様子が変わった。
どうやら、コスモから新しい情報が”反響”してきたようだ。
今度は一体、何を伝えようとしているのだろう?
エコーはすぐに耳を澄ませて、また”解読”した。

音色から、少しずつ情報を浮き彫りにしていく。
これまでの長い”解読”が実を結んだのか、既に二人は同じ周波数で共鳴していた。
よって、エコーはすぐに新しい情報を読み解くことができた。

その音に描かれていたのは……コスモの”姿”だった。

 

その姿は、エコーとそっくりだった。

エコーには、コスモの伝えたいことがわかった。
この姿が送られてくるということは、コスモは、エコーの形を認識しているのだ。
そしてその形を使って、自分の姿をかたどって、エコーに伝えてきている。

エコーの存在が、コスモに伝わったことが証明された。
エコーが歌を受け取ったことで、その反響はコスモに伝わり、そしてコスモはまた新たな反響をエコーへと返したのだ。

それがたまらなく嬉しくなったエコーは、また「共鳴」を続けた。

 

「アナタハ、ドコニアル?」
「あなたの、そばにいる。」
「ワタシヲ、オボエテイテ。」
「私が、覚えてる。」
「アナタモ、ウタッテイル?」
「私も、歌ってる。」

小さな丘の上、二人の歌声は、いつまでも、何度でも、共鳴し続けた。
その”反響音”は辺りを満たしていき、二人の世界は、飽和していった。

 

……やがて、コスモの歌声は止まった。
歌うのを満足してやめたのか、それとも……
エコーは、静かにその場所を離れた。

エコーの頭の中にはずっと、コスモの歌が流れていた。
確かに記憶に、深く深く、刻まれていた。
その歌には、コスモの姿が、果てしなく広い宇宙が含まれていた。
エコーの頭の中には今や無限の”スペース”が広がっていた。
かつて苦痛でしかなかった、飽和した共感覚の嵐は、広い宇宙の中で色とりどりに光る星たちのように、のびのびと広がって、新たな調和を見せていた。

これまで憎んでいた”反響音”を、自分の存在を、愛せる気がした。

 

振り返ると、そこには一輪のコスモスが、澄み切った風の中、静かに揺られていた。

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